私は上京して最初の1年目、就職して営業マンをやっていました。1996年頃の話です。
それはもう、今だったら問題アリアリのブラック労働で、超体育会系のスパルタマッドマックスです(笑)。
で、その時の課長が当時38歳で、これまたイケイケのバリバリで、10分に1回は怒鳴り散らすという人でした。
その課長から言われたことをいくつか覚えているのですが、一番鮮明に記憶している言葉がこれです。
『俺はみんなで仲良く貧乏するのが一番嫌なんだよ!』
…私もまだ子供だったので、この言葉の意味をそのまんま受け取っていました。契約を取れば取るほど稼げる営業職なんだから、稼がないとダメだよね、貧乏な暮らしはみんな嫌だもんね、だから頑張ろうよ、と。
今思うのは、まず、この言葉はマネジメント上の都合ですね。
部署の中の誰もが成績を出せない。活躍できない。だから手当ても少なく収入が低い。
この状態が続くと、『まあみんなそうなんだからしょうがないよね』という共通認識が芽生えて、ますます仕事をしなくなるのです。
そして、貧乏仲間というシンパシーで心地よく生きてしまうので、頑張ろうとしていた人もそれに感化されて行動しなくなります。果てには、自分たちが貧乏なのは会社が悪いからだ、社会が悪いからだ、自分は問題ないけど誰かや何かのせいで、俺は困っている。
という流れが生まれてしまう危険があるのです。
件の課長は、それを懸念したんだろうなというのが1つです。
また、自分の部署を戦闘集団に育てたいと考えているのに、ライバル心ガチガチでガンガン競い合うのではなく、それどころか『貧乏なのに仲良し』という環境を作るのが嫌だったのでしょう。
私は今、稼ぐのが正義だ!という世界で生きているつもりはないので上記の話に100%賛成するわけではありません。
でも、何かで成果を出そうとする時に、このようなストイックなマインドは非常に有効だとは思います。成果を出せないことは悪、というくらいの意気込みでいけたら、どう考えたって行動基準上がるじゃないですか。シンプルな話。
私は会社員時代、周囲のみんなも低賃金だから、という理由で自らも低賃金で苦しむことを肯定していました。家族にも苦労をかけているけど、これは仕方がない。だって、みんな同じだし。俺だけじゃないし。俺だって頑張ってるし。と。
そんな自分を暖かく迎えてくれる同類の人が周囲に何人もいれば、安心してしまうものです。
でも、そこから抜け出したかったら、貧乏仲間を作ってはいけません。いや、人間関係を壊せと言っているわけではもちろんないですよ。『みんな同じだからしょうがない』という空気を容認しない自分になるということです。
こうやって考えていくと、職場で良好な人間関係を築くことと、収入を増やして豊かになることは必ずしも一致するわけではない、ということにも気づけます。
会社は、給料を貰うために、仕事をするために行っているわけで、友達作りをしに行くわけでもなければ、傷を舐め合ったり許し合う場所でもありません。
問題行動ばかり起こして他人に迷惑をかけるようではダメですが、仕事さえきちっとこなせば、評判とか、どう思われているか、とかは問題ではないのです。
それよりも『仲良く貧乏』で自らの今後の可能性を落としてしまう方が懸念事項です。よりよい自分になりたければ、周囲の人と『だってしょうがないよね』と言い合いながら馴染んでいてはまずいのです。いくらか、孤高でいるくらいが丁度いいんじゃないかな、と。
というような感じで私はいましたので、なんというか、逆に人間関係のストレスは『みんなで仲良く』系の人よりは少なかったと思いますし、その態度が支持者も生んでいたような気がします。八方美人は嫌われますので。
まとめますと、収入を増やしたかったら『諦めの人間』にならないこと。そして、ストレスフルな人生から脱却したかったら、むやみに仲良くしないこと。
です!